消費生活協同組合法(以下、生協法)によって設立され、主として医療事業を行う生協(以下、医療生協)は、1948年の生協法制定以後1949年に誕生(購買事業と兼業)し、全国に広がっていきました。
戦前の日本では産業組合法にもとづいて医療事業を行う医療利用組合(医療組合)が全国各地に設立されていました。この中には、購買生協運動のリーダーである賀川豊彦らが設立した組合もありました。
戦後、産業組合法が廃止されて1948年に生協法が制定されると、当時の貧困な生活状況のなかから、「劣悪な衛生状態の改善」や「貧しいことを理由に差別されない診療所」を求める住民の要望が高まり、各地で住民が参加できる診療所の開設、医療生協創立の運動が始まりました。海外から引き揚げてきた医師・看護師、あるいはレッドバージされた医師等がこの運動に参加し、住民を支えました。
医療生協の創立
年号 | 加盟生協 |
---|---|
1949年 | 2生協(東京都) |
1950年 | 7生協(東京都4、愛媛県、神奈川県、福岡県) |
1951年 | 3生協(群馬県、京都府、鳥取県) |
1952年 | 4生協(青森県、群馬県、東京都、島根県) |
1953年 | 2生協(東京都、鳥取県) |
1954年 | 5生協(栃木県、埼玉県、東京都、岡山県、和歌山県) |
1955年 | 3生協(大阪府2、岡山県) |
「日本生活協同組合連合会医療部会50年史(2007年9月)」p.61より
医療生協の草創期である1950年代は、国民皆保険実施前の時代。診療所が自由な料金を設定できる中で、医療生協の診療所は適正な料金と分け隔てない診療によって住民の信頼を集めました。組合員組織を生かして蚊やダニの駆除、町内消毒など、身近な衛生状態の改善でも役割を発揮しました。
1950年代の終わりから1960年代にかけて日本列島はたびたび大きな災害に見舞われますが、その被災地には全国の生協医療班による献身的な救援活動がありました。その姿に感銘を受けた住民は、「自分たちの身近にも、生協の診療所が欲しい」と考え、東海・四国などで医療生協がつくられていきました。
高血圧による脳卒中や心筋梗塞などの重い病気は、医療生協の草創期である1950年代から大きな問題となっていました。組合員の健康をどのように守っていくのかという議論のなかで、健診活動を広げていきました。しかし、医師数が増えない中では、健診を受けられる人数にどうしても制限がありました。そこで、血圧チェックや尿チェックなどを組合員自身の手によって行う健康自己チェックを開発し、保健大学等の開催を通して組合員の間に普及しました。「健診」と「健康自己チェック」という医療生協の健康づくりの2本柱はこうして確立していったのです。
医療生協の全国組織としては、1957年に設けられた日本生協連医療部会(医療部会)がありました。医療福祉生協連は、その医療部会を引き継ぎ、2010年に設立されました。
1957年6月、日本生協連(日協連、当時)第7回総会で医療部会が特別部会として結成され、12の組織が参加しました。当初は、事務局体制も不十分でしたが、やがて独自の方針をもてるようになって全国の医療生協に対して指導的な役割を発揮し、職員・組合員の教育機能を担うまでに発展しました。
医療部会(当時)は、医療への組合員参加を重視し、1981年には良い医療の3つの条件(治療内容が現在の医療水準を反映しているか、不必要な診断・治療行為は行われていないか、患者に病状や治療方針が納得のいくよう説明されているか)を提起し、「良い医療は患者の満足度で決まる」ことを定式化。同年から全国の医療生協の病院・診療所で、組合員が参加する患者満足度調査を始めました。こうした中で1991年に「医療生協の患者の権利章典」を決定し、組合員主体・患者主体の医療のあり方を先駆的に提起しました。
2000年代に入り日本生協連内部で「専門性が高く、一定の規模をもって自律的な運営が可能な分野においては、専門連合会としてまとまって日本生協連に参加していくことが望ましい」(組織運営等検討小委員会報告、2003年4月)との認識が広がり、医療部会内部でも2008年から組織的な議論が開始されました。約2年間に及ぶ全国論議の結果、医療部会を構成する115生協の総意として、日本医療福祉生活協同組合連合会が2010年に設立されました(2010年7月6日創立総会、8月20日設立認可、9月9日登記完了、10月1日事業開始)。
沿革
1945年 | 日本協同組合同盟(日協同盟)創立総会 |
---|---|
1947年 | 全日本生活協同組合連合会(全協連)創立総会 |
1948年 | 消費生活協同組合法制定 |
1951年 | 日本生活協同組合連合会創立総会 |
1955年 | 東京都生活協同組合連合会に医療部会を設置 |
1957年 | 日本生協連総会で医療部会結成を決定 |
1959年 | 伊勢湾台風で医療生協より医療救護班派遣 |
1963年 | 医療部会事務局設置 |
1977年 | 組合員・役職員向け情報誌「医療生協運動」月刊誌化<<2001年に「comcom」(コムコム)へ名称変更 |
1988年 | 医療部会総会で第1次5か年計画確定 |
1991年 | 医療部会総会で「医療生協の患者の権利章典」確定 |
1992年 | 第1回国際保健協同組合フォーラムを医療部会とJA厚生連で共催 |
1995年 |
阪神・淡路大震災被災者救援で全国の医療生協から医師・看護師など延べ4550名、組合員1200名のボランティアを派遣 医療部会総会で第2次5か年計画確定 第2回国際保健協同組合フォーラムで加藤昭治医療部会運営委員長が基調報告を行う |
1996年 |
国際保健協同組合協議会(IHCO)総会で加藤昭治医療部会運営委員長が議長就任 医療部会運営委員会で「医療生協がめざす健康習慣-健康増進の『7つの生活習慣』と『2つの健康指標』」確定 |
1997年 |
アジア・太平洋地域保健協同組合協議会(APHCO)発足総会で加藤昭治医療部会運営委員長が会長に就任 世界保健機関(WHO)が主催する国際健康促進会議にて加藤昭治医療部会運営委員長が「地域住民の健康促進と保健協同組合」のテーマで報告 |
2001年 | 医療部会総会で第3次5か年計画確定 |
2002年 | 川崎医療生協川崎協同病院「気管内チューブ抜去、薬剤投与死亡事件」 |
2005年 |
医療部会運営委員会で「医療生協がめざす健康習慣-健康増進の『8つの生活習慣』と『2つの健康指標』」確定 医療部会総会で「組合員・利用者・職員がともにめざす医療生協の介護」確定 |
2006年 | 医療部会内に家庭医療学開発センター設置 |
2007年 |
医療部会総会で第4次5か年計画確定 医療部会創立50周年記念で第3回国際保健協同組合フォーラムを開催(主催:日本生協連) |
2008年 | 改正消費生活協同組合法施行 |
2009年 | 改正消費生活協同組合法施行・医療部会50周年(新連合会化方針) |
2010年 |
医療福祉生協連創立(9月)・事業開始(10月)、「新・患者の権利の章典」論議開始 第1次3か年事業計画 策定 |
2011年 |
東日本大震災・福島原発事故被災への人的・物的支援、第1回通常総会 第6回24時間畜尿塩分調査 実施 |
2012年 | 国連「国際協同組合年」、「いのちの章典・理念」の全国討議 |
2013年 | 医療福祉生協のいのちの章典、医療福祉生協の理念を確定 |
2014年 |
医療福祉生協の2020年ビジョンを確定 第2次3か年事業計画 策定 第10回健康づくり学会 開催 |
2015年 |
医療福祉生協のいのちの章典実践ガイドラインを確定 第7回24時間畜尿塩分調査 実施 |
2017年 |
第3次3か年事業計画 策定 フレイル・オーラルフレイル予防の取り組み 提起 |
2018年 |
第11回健康づくり学会 開催 医療福祉生協の班会に参加する組合員の健康度調査 実施 |
2020年 |
医療福祉生協の2030年ビジョンを確定 第4次3か年事業計画 策定 創立10周年 第8回24時間畜尿塩分調査 実施 |